参加者の声

田中先生
私立中学校勤務

帰国子女の田中理紗先生

ひとつの社会、同じ文化を持った社会の中にいると、どうしても同質性が高くなり、同調圧力となり、マイノリティーの脅威ともなり得ます。学校がそんな文化を育成するところでいいのだろうか?
かえつ有明中・高等学校の英語科の教員でありながら、サイエンス科・プロジェクト科の主任も務める田中理紗先生は、TIに参加して後、考え方が変わったといいます。ご自身の子ども時代の体験と重ね合わせて語ってくれました。

 教員になって11年目。帰国子女です。幼稚園~小学校3年生の始まるときと、6年生~中学3年の受験のときを海外で過ごしました。
2回の帰国経験では、いずれもいい思い出がありません。とても異端な存在でしたから。周りの子と「ちょっと違う」ということを、常に意識させられました。
例えば授業中先生から「意見のある人?」と問われたときに、小学生も中学年ぐらいだとほとんど手を挙げる子はいないのに、私だけ毎回挙げる。すると、「あの子、ちょっと変だよね」なんて言われます。リレーで内側から抜いちゃいけないというルールを知らずに内側から抜いたら私のクラスが負けて、「理紗ちゃんのせいだよ」と言われました。
怖かったです。「違う」ということがすごくクローズアップされる、しかも、責められる大変な世界に来てしまったと思いました。
 高校入試で戻ってきたときは、もう少し大人でしたし、以前にそういう経験をしていたから、帰国子女であることを隠していました。英語の授業で本当はすらすらと喋れるような文章でもわざと、「アイ、アム、ア……」なんて発音してみたり。極力、日本の、周りの世界観に合わせて、目立たないよう、余計なことはしないように。今はずいぶんと変わってきたと思いますが、当時は東京の私立高校でも、帰国子女なんてごく少数でしたから。
 同時に、日本の英語教育に対する疑問も抱きました。みんな難しい単語なんかを知っていて、私が読むようなものよりも難しい文章を読解するのに、全然しゃべれない。どうにかできないものかと英語教育を目指して大学に進み、教育実習が楽しく、工夫して作り上げた自分の授業が予想外に生徒たちに好評だったこともあって、教師の道に進みました。

TIに参加したのは、たしかFacebookでの紹介からだったと思います。ちょうど、外へ出て勉強することに意義を感じはじめていた頃でした。
 学校の中は、とても狭い世界です。先生も子どもたちも、学校の中で問題なく過ごしてはいるけれど、この世界観しか知らなくて大丈夫なのかな、外へ出て、学校外の人たちと一緒に何かすることが学校をもっと開いた場所にするのではないかという思いがありました。

TIでは、同期でワークショップを作ったことが印象でした。とにかく何回もやり直す。みんなで話し合って積み上げて、よし、ここまでできたと思っても、次のミーティングになると、「これってちょっと違うよね」「そもそもこれって何だったんだっけ?」なんてことになって、全部最初からやり直し。そんなことが何回も。でも、それが楽しい。いいものを作るってそういうことなんだと気づきました。
 ワークショップでも授業でも、いいものを作ろうと思ったらそんな簡単にはできません。加えて、その前提となる人間関係ができていたことも大きいと思います。合宿やオンラインを通じた多くのミーティング、意見交換や発言から、このメンバーで考えたことなら、受け容れられる。当然、自分も言える。このコミュニティーならば大丈夫だという安心感がありました。
帰国子女で帰ってきたときの思いとは対照的です。同じ時間を過ごす場にいても、空気を読んで自分を出さずにやり過ごすのとは逆。お互いに自分を出すことで、周囲も安心を得ていく。それがたとえ積み上げを壊す意見だったとしても、お互いに信じて受け容れられる安心感がある。それは、何かを協働していく上で重要な要素になることを実感しました。

 その考え方に基づくようになって、授業も変わりました。
 まず、私が教師として工夫し過ぎることが素晴らしいと思わなくなりました。そして、待つこと。子どもが工夫してくれるのを、待つことができるようになりました。すると、子どもたちは予想もしなかったような活躍をはじめるんです。そして、自分たちでどんどん学習する。私がすることと言えば、仕掛けをつくることくらいです。

 以前は、「いい先生」になりたかったんです。「先生の授業わかりやすいですね」とか「先生のクラスでよかった」と言われたいと思っていました。子どもからも、保護者からも、同僚からも言われたい。だから、思われるように行動していました。でも、今はその必要性を感じません。むしろ授業はちょっとモヤモヤするくらい、「先生の授業だとすっきりしない」なんて言われることが嬉しかったり……。
「私」の存在をアピールする必要がなくなったからだと思います。必死に、ここにいてもいいですかと確認する必要がなくなった。「私」はここにいてもいい存在だと保障されていることがわかったんです。だから、シンプルに子どものため、学校のためを考えられる。 多くの先生たちが、「いい先生」になりたいと思いながらうまくいかないでいることにも思い至りました。先生というのはすごく真面目なので、これまでの決まりごとをなかなか手放せない。子どもたちにも必要以上に声を掛けてしまい、かえってやる気を削いでしまうようなこともあります。そのとき、この人は、いい先生だと思ってほしくて、こんな行動を起こしてしまったのだと思えば、イライラもしない。私自身、優しくなれるんです。
学校全体を、安心、安全の場にしたい。学校がそう感じられるコミュニティーになれたら、きっと先生たちも、もっと生きやすいだろうなということを、TIに参加して気づきました。
 そういう場が一つでもあれば、一つでも、自分のままでいていいところがあれば、別の場所で困難があったとしても、おそらく戦えるようになる。戦って負けたとしても、その人はきっと大丈夫なんじゃないかと考えられるようになりました。

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