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仲間との対話が「学び」を生み出してくれた


やまぐち総合教育支援センター
研究指導主事 岡﨑 充記

研修に参加した私が得たのは「点と点が繋がっていって形になっていく」ような感覚。自分がすでに知っていたいくつかのキーワードや概念が、仲間と対話するうちに、有機的なつながりを持ち始めて、本質的な理解へとたどり着きました。そうやって自分の中で「落ちた」状態にすることこそが「学び」なのだと気付いたのです。

私がティーチャーズ・イニシアティブ(TI)の高校指導主事向け研修の存在を知ったきっかけは、職場(やまぐち総合教育支援センター)の上司からの誘いでした。A4用紙に2枚程度の資料を見せられ、「これ、東京でやる研修なんだけど、参加しない?」とだけ言われたのです。

そんな漠然とした誘いに「行きます」と即答するわけにはいきません。私は当然、「どんな研修なんですか?」と質問しました。上司は内容をざっと説明してくれたものの、わかったのは「探究に関する研修」だということだけ。ただ、上司からこの研修に必ず参加してもらいたいという強い気持ちが伝わってきました。そこで、コロナ禍の状況で本当に開催されるのかという不安はありましたが、私は上司の意向を汲んで「わかりました。参加します」と答えたのです。

 こうして参加することにはなったものの、研修に関する情報もあまりなく、正直に言って、あまり意欲がわいてきません。そこで、まずはTIについて知ろうということで、『この先を生む人』(さくら社刊)という書籍を読んでみることにしました。TIが行なっている「21世紀ティーチャーズプログラム」に参加した全国の先生たちの生の声がまとめられている本なのですが、先生たちがそこで体験したことや内面に起こった心の動きなどが赤裸々に綴られていて、これは単純に読み物として面白く読めました。そして、TIに対する興味がわいてきて、自分が参加する研修についても楽しみになってきたのです。

仲間への期待感が高まり、ショックも受けたキックオフ合宿

 そうこうしているうちに、最初のプログラムである「キックオフ合宿」(2021年9月18日~20日)の当日を迎えました。当初は東京都内で、対面での開催となるはずだったのですが、残念ながら、コロナ禍のためにオンライン開催へと変更になりました。

 私は基本的には人見知りの性格のため、知らない場で初めての人たちと話をするということで、やはり緊張していました。だんだんと楽しみになってきたとはいえ、研修が始まるまでは、とても気が重かったことを覚えています。

 最初にやった「チェックイン」は印象的でした。「今回の研修に参加するにあたって、どういう思いを持っているのかをありのままに話してください」と言われたのですが、どの程度の「ありのまま」が求められているのかがわからず、かなり戸惑ったからです。

私はいちおう、言われるままになるべく正直な胸の内を話したのですが、内心では「なんなんだろう、これは?」と思っていました。「ありのままに話すことに何の意味があるの?」と。おそらく他の参加者にも、そう感じていた人は少なくないのではないでしょうか。みんな、それぞれに話をしているけれど、お互いに探り探りというか、様子をうかがっているところがあって、まさに「研修初日の午前中」という雰囲気でした。

 ただ、同じ日の午後には、お互いに少しずつ打ち解けてきたように思います。自分自身の原点を探り、それを他の参加者と共有しながら「私の履歴書」を書き上げるというワークを行なったのですが、私はここでは「なるべく腹を割って話そう」と思っていました。

 というのも、「このワークはお互いに腹を割ってやらないと、意味がなくなってしまう」と感じていたからです。「壁を取り払った、親密な雰囲気でやらないと、このワークは時間の無駄になってしまう。それはイヤだな」と、そう思っていました。そうやって自分をオープンにしたことで、私は無事に「私の履歴書」を書き上げるところまでたどり着くことができました。

 こうして初日の早い段階ですんなりと場に馴染んでいけたのは、私が生来の人見知りをいったん封印し、自分をオープンにする術を身に付けていたという理由もあったと思います。これは、私がこれまでのキャリアでそれなりの数の研修を経験してきたことで、知らず知らずのうちに会得していた「スキル」のようなものなのでしょう。

 その一方で、他の参加者の存在も大きかったように思います。だれもが前向きな姿勢で、話をするのも上手だし、聞くのも上手。そして、お互いの経歴や現在のステージも似通っている人が多くて、親近感を持ちやすいという状況もありました。この仲間とだったら何でもオープンに話せるし、何かが解決するかもしれないという期待感は、キックオフ合宿だけに限らず、高校指導主事向け研修の全体を通して徐々に高まっていきました。

 キックオフ合宿では、仲間たちの能力の高さに衝撃を受けるという体験もしました。3日目にディベートを行なったのですが、私がどんな発言をしても理路整然と反論され、ことごとく論破されてしまうのです。もう本当に悔しく、そして同時に「この人たちはなんて頭の良い人たちなんだ」とショックを受けました。

 私の今の職場は、同僚の人数が少なく、何を決めるにもみんなでしっかりと話し合って進めていくというような環境です。当然、話し合いにも慣れているつもりでしたし、そういう議論こそが通常の業務の一部であるという意識でもいました。議論も話し合いも好きだし、それが得意だという自負もあったのです。

 ところが、この時のディベートでは、まったく手も足も出ない。チームでのディベートでしたが、私が1人で相手は2人という状況になり、私が何か言うと、右から殴られ左からも殴られというくらいの感覚でした(笑)。これは私の人生で初めてと言ってもよい経験でした。

私はこれまで「本質の部分」をちゃんと理解していなかった?

 キックオフ合宿の3日間では、「点と点が繋がっていって形になっていく」ような感覚が私の頭の中で常に生まれていました。自分がこれまで知っていたいくつかの事柄が、仲間と対話していくうちに、ピコピコピコンッと繋がっていく。そして、繋がったことでできあがった形が、自分の腹の中にしっかりと「落ちた」のです。

「今はこういうことを勉強しないといけないんだよな」とか「(参加者の)あの人がこう言っているんだからそうなんだろう」とか「自分自身がこれまで感じていたのはこういうことだったんだな」という風に、これまでぼんやりと見えていたものがハッキリとした形となって目の前に現われた感じでしょうか。キックオフ合宿が終わるときにそんな振り返りがあって、「ああ、これは本当によい勉強ができたな」という満足感が確かにありました。

 かなり抽象的な話なので、もう少し具体的に説明してみます。

 私たちの日々の仕事の中では、たとえば「文部科学省は教育の未来をこう考えていて、その背景はこうだ」という情報が耳に入ることがあります。また、教育委員会からも「今後、教育はこう変わるから、教育に関わる人はこういうことをしなければいけない」というような書類が回ってくることが多くあります。さらに、自分で読んだり聞いたりした本やニュース、講演などで、同じような情報を得ることもあります。

 私にとっては、そういう情報はこれまで「文字としては頭に入っていた」ものでした。ただ、「なぜ●●をしなければいけないのか?」とか「どういった理由で●●は変わるんだろう?」という「本質の部分」については、ちゃんと理解していなかったのです。

もっと正確に言うと、これまでも本質の部分まで理解したつもりでいたのだけれど、キックオフ合宿での仲間との対話の中で、その本質の部分についての「言葉」を自分で発したことで、それが「本当の意味」を持った……そしてその気付きによって、これまでは本質の部分を理解したつもりでいただけだったという事実に向き合うことになったのです。

私が今働いている部署(やまぐち教育先導研究室)は、新しい時代に向けた人材育成をするための教育プログラムの開発・教職員研修の実施など、まさに「教育の未来」や「学校の未来」を日々、研究しています。ですので、TIの研修で出てくるような新しいキーワード、概念といったものは、研修に参加する前からどういう意味なのかはすでに知っていましたし、どういう文脈で使われるものなのかということも理解していました。

ただ、そういった知識や理解が「腹に落ちた」、つまり「実感を伴う」ものだったかというと、それは違ったのでしょう。合宿の中でそのことに気付けた瞬間は、まさに頭の中で閃光が走ったような感覚がありました。とても意味のある体験だったと思います。

自分の知識に「裏付け」を与えてくれた専門家の講義

キックオフ合宿以降のプログラムでも、「点と点が繋がっていって形になっていく」感覚、さらには、その形が「腹の中に落ちる」体験は続きました。

たとえば、11月6日にあったオンラインセミナーでお聞きした、脳神経科学の専門家である青砥瑞人さん(DAncing Einstein FOUNDER CEO)のお話もとても興味深かったです。内容は「人間の意識と、その使い方」に関するものでした。

お話の中でコーヒーの話題が出てきました。「休憩のためのコーヒータイムも、意識をどこに向けるかということをちゃんと考えて過ごすことが大事なんですよ」というお話でした。これを聞いたとき、私は「これは面白い!」と思うとともに、「これは私のためのお話じゃないか!」とも実感しました。

というのも、私は職場でよくコーヒーを淹れるのです。次の日からは、さっそく職場で実践してみました。淹れたコーヒーを同僚に渡すときに「これを飲んだら、今日起きたイヤなことを全部忘れることができるよ」とか「そうやって意識しながら飲まないと損だよ」といった声をかけることにしたのです。今のところ、同僚に高校指導主事向け研修で学んだことを話す機会はそれほど多くありませんし、研修に参加したことで私に何か変化があったと言われたこともありません。でも「コーヒーを飲むときに何か面倒くさいことを言うようになったな」とは思われているかもしれません(笑)。

青砥さんの脳神経科学についてのお話は、これまで私が知っていた、理解したつもりになっていたことに「裏付け」を与えてくれた部分もあります。

たとえば、研修に参加する際には心をオープンにしないと学ぶ効果が落ちてしまうとか、学校の授業でも生徒がワクワクしていないと頭の中に定着していかないといった話は、実際に経験したり本で読んだりして「たぶん正しいんだろうな」という気はしていました。それが、脳神経科学の観点からも正しいんだという話になれば、腹に落ちます。

こうやって、自分の腹の中にしっかりと「落ちる」まで学ぶには、自分の言葉にし、本当に納得できる裏付けを見つける必要があることに気付くことができたのは、私にとっては大きな変化でした。ただ新しい知識を得るだけではなくて、その後の自分を変えていく力になっていくことこそが、TIの研修の魅力のひとつなのだと感じます。

TIでの学びが過去のエピソードの価値を変えた

ところで、最後のプログラムである3月6日のラボ発表会を終えて、私は教員時代のあるエピソードを思い出していました。

それは、私が10年ほど勤務した高校にいたときの話です。その頃は、教育現場で授業観が大きく変わっている時期で、アクティブラーニング型の授業をしないといけないとか、生徒の資質・能力をしっかり伸ばさないといけないという話が徐々に出始めていました。そのタイミングで、私は中堅という立場になっていたこともあり、商業科の主任という大きな役割を任せられたのです。

当時の同僚は比較的若いメンバーが中心で、私たちは新しい教育の形を模索し、立ち上げていくことに取り組みました。幸いなことに、メンバーには熱意があり、地域連携教育のパートナーとなる地域の企業の方々にも恵まれたことで、1年目からこの取り組みに手応えを感じることができました。

ところが、1年目が終わるタイミングで人事異動があり、立ち上げに関わって取り組みを軌道に乗せていたメンバーのうちの何人かが抜けました。そして当然、2年目の始まりとともに、新しいメンバーが入ってきました。私は最初の日に、彼らに「うちの学校ではこういう風に授業をやっています」と伝えたのですが、即座にその教育の形を否定されてしまったのです。

とはいえ、その学校の商業科はそのやり方で動き始めていますし、続けていくには、説得するしかありません。私は何度も説得を試みました。ところが、なかなか理解してもらえなくて、私もだんだん面倒に感じてきてしまいますし、相手も「この岡﨑という主任は何を考えているのかわからない」という態度を露わにしてきます。関係がうまく築けていないのは明らかでした。

そして、そんなギクシャクした関係が続いたある日、私はついに爆発してしまいます。商業科会議で、メンバーの1人と激しい口論になってしまったのです。これは私の教員歴でも、それまでになかったことです。私はかなり激しい言葉で相手を非難し、心に溜まっていた鬱憤をぶつけてしまいました。

実は、今よく考えてみても、当時進めていた教育の方向性は悪くないと思っています。けれど同時に、あんな言い方で相手を責めなくてもよかったのかな、という思いもあります。そして、TIの高校指導主事向け研修を終えた今の私であれば、もう少し別のやり方を選択できるだろうと感じています。

たとえば、メンバーが入れ替わった時点で、それぞれの個性や持っている知恵もそれまでとは違うのだから、やり方もその時のメンバーに合わせて変えてみてもよかったかな、と。また、もっと違ったアプローチで、メンバーそれぞれに合わせた話し方をすることもできたな、とも。当時の私は知識を一方的に伝えればちゃんと伝わるはずと考えていましたが、それも反省すべきだろうなとも思います。

不思議なことに、このエピソードもTIで学んだことに繋がっています。

「私の履歴書」のワークの時に「過去は変えられる」という話題が出てきました。正確には「過去に起こった事象は変えられないのだけれど、その価値付けは今からでも変えられる」という話でした。

ワークに取り組んだときは、この「過去は変えられる」と商業科会議での口論のエピソードは、まだ繋がっていませんでした。それが、研修のすべてのプログラムを終えて、先日クルマを運転していたふとした瞬間に「ああ! あの話はこのことだったんだ!」と突然繋がって、そしてまた腹に「落ちた」のです。

予想されるジレンマに私はどう立ち向かうのか

 高校指導主事向け研修を終えて、最近は、今後のことを考えています。

 私の今の仕事は、教職員研修を作って、先生方に学びの場を提供することです。おそらく、これはジレンマになるだろうなと思うのは、研修に参加される方々は「何かを教わりたい」という気持ちで来られるのです。つまり、「何か新しい情報を得たい」という動機で参加される方は多くいます。

 ところが、私はTIで「ただ新しい情報を浴びるだけではダメだ、それでは何も身に付かない」ということを実感してしまっています。本人が、周囲との対話を通して、研修の内容について腹に「落ちる」という経験をしないと意味がないということを知ってしまっているのです。

 だから、それができる研修を作りたいと思いますが、「何かを教わりたい」という参加者に受け入れられるだろうか、TIを経験していない同僚や上司は私の計画を認めてくれるだろうか、というジレンマが常にあります。現実的には、どちらか片方だけに偏ることもできないので、そのバランスにはずっと悩むのでしょう。きっとこれからの私は、そんな対立に葛藤し、そして戦う人になるのだろうと思っています。